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応用生態工学 2(2), 99-100, 1999

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巻頭言 PREFACE

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等身大の自然管理

小野 勇一

九州大学名誉教授 〒811-3124 福岡県古賀氏薬王子886-6

Yuichi ONO: Nature management on a "life size'' scale. Ecol. Civil. Eng. 2(2), 99-100, 1999.

Professor Emeritus of Kyushu University, 886-6 Yakuo-ji, Koga-shi, Fukuoka, 811-3124, Japan

摘要

江戸時代までは村や街のつくりは全て等身大であった. 人々は大抵の所は「歩き」で往き来していた.その頃の高速移動手段は馬であったし,それは庶民の日常のものではなかったので,おおかたの人は人生の大部分を村や街の等身大の世界で過ごした.いや,それは江戸時代までとは限らないかもしれない.私の母は明治25年生まれであって,昭和42年まで存命したが,その一生のうち汽車に乗ったことさえ稀であり,大分県からついぞ宿泊こみで出たことはなかった.人々が飛行機などで長距離の旅行をしてまわり,外国旅行などごく普通の出来事になったのはごく近年のことである.

自然管理もまた,昔は等身大であった.河川の土手作りも,底浚いも,全て自らの「からだ」をつかって,もっこやつるはしや鍬や車力で行っていた.一昔前の中国の人海戦術による土木工事もこんな調子であった.等身大の自然管理は時間もかかっていた.例えば,鹿児島南東部のシラス台地では千ヘクタールの開田のために明治・大正・昭和の三代の時間が必要であったという.干拓においてもおそらくことは同じであったと思われる. 干拓は平安時代から細々と行われていたが,江戸時代に入って藩政の重要施策として河口を中心に埋め立てがなされた.しかし,その規模も数百ヘクタール程度であり, 八月が主であるので,時間もかかっていたに違いない. 干拓が第二次大戦後に食料確保,失業対策で急速に拡ぐしてきたことは十三湖,八郎潟,児島湾などの事例が 異型として思い起こされる.こうして,一ケ所数千ヘクサ7一ルの大規模の海が埋め立てられてきた.埋め立ての 速度も昭和20〜30年にはそれほど早くもなかったようであるが,列島改造からバブル期まではまさにアッと驚 く早さで海が消えていった.有明海などでは昔の干拓堤防が内陸に残存しているが,その付近の自然の状態を見ると,人為の跡は歴然としているが,気候的地理的に分布していた動植物はいかにも古来からいたように生活している.それに比べて地先の近年の埋め立てでは,経過時間の短いことを割引きするにしても,いかにも不自然である.白いコンクリート護岸と周辺の緑との不調和, 睦との関係を完全に断ち切られた海は風景的にも異常である.

そうなのだ,自然にインパクトが加わえられたときに,植物や動物たちが,自らの力で自然を回復し安定するまでには長い長い時間がかかる.われわれはその時間の長さを無視して近代力の強烈さをアッという間に適用して自然を改造してきたのだ.人が自らの目と手が届く範囲を等身大とすれば,等身大の自然管理とは日常の生活が保守できるように周辺環境を整えること,と言えるかもしれない.そのことを条件として土木力を適用す ることが基本的な発想として必要なのではないか.

等身大という言い方にはもう一つの意味がある.全ての生きものは自らの生活をする範囲を自らの体の大きさに相応して決めている.まさに「カニはその甲羅に似せて穴を掘る」のだ.人が自然にインパクトを加えようとするとき,このことを忘れてはなるまい.虫には虫の生活空間があり,けものにはげもののそれがある.私は個体のことだけを云っているのではない.全ての生きものは仲間と共に生きているのであるから,ここで云う生活する空間とは現代語で云えば,個体群の存在空間であり,メタ個体群の分布範囲をさしている.メタ個体群の重なりあう存在空間が生態系であり,それは異なった種類のメタ個体群よりなる.それぞれの種類は上に述べた必要生活空間をもっているので,生態系は空間構造的にも複雑になるのは当然である.このようなことを念頭に置ぎながら行う土木技術こそ等身大と云うべきである.川づくりにおいても,壊れたら直し,壊れたら直し,を繰り返しながら,川という自然の恩恵を享受し,時には自然の猛威に恐れおののきして碁らしてきた先祖の生活態度をいまこそ自然の川づくり,自然の管理に活かすべきではなかろうか.誤解を恐れずにあえて云えば,等身大の自然管理とは,日常の生活が保守できるように周辺環境を整えることであり,多少の不便はあっても命の危険が伴わない程度に自然の改変を留めておくこと,そのレベルで土木的改変を留めることを意味するのではないか.

私は近代土木工学の機械カを全て否定するものではない.雲仙岳の火砕流を食い止めようとする巨大な砂防ダムの必要性は認める.しかし,その一方で先日見てきた富士山の大沢くづれのところの砂防を見て,空しい感じを抱いたことも事実である.人文的には人の等身大を,自然的には生きものの等身大を考えて機械力を適用すれば,真の意味の多自然型土木工事ができるのではないか.云うまでもないことであるが,異なった種類のメタ個体群の集合,すなわち生物の群集は機能的な構造をもっている.それは食物連鎖構造であり,ピラミッド構造である.今度の環境影響評価の生態系項目でいう上位性,典型性,特殊性とは,自然に手をかけようとするときに,これらの空間的な機能や構造を考えてくれ,と云う要請なのである.考え方はいろいろあるだろう.しかし共通して言えることは,等身大の自然を大切にすることで,どんな草のかたまりも,一本の木の枝も,だいじにしなければという愛おしみの世界があることを工事者が自ら感知し,そのことを結果に示してほしいのである.

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